2005年12月31日

車走ること一時間、

スタルンベルヒに着きしは夕(ゆうべ)の五時なり。かちより往(ゆ)きてやうやう一日ほどの処なれど、はやアルペン山の近さを、唯何となく覚えて、このくもらはしき空の気色(けしき)にも、胸開きて息せらる。車のあちこちと廻来(まわりこ)し、丘陵の忽(たちまち)開けたる処に、ひろびろと見ゆるは湖水なり。停車場は西南の隅にありて、東岸なる林木、漁村はゆふ霧に包まれてほのかに認めらるれど、山に近き南の方は一望きはみなし。
 案内(あない)知りたる少女に引かれて、巨勢は右手(めて)なる石段をのぼりて見るに、ここは「バワリア」の庭(ホオフ)といふ「ホテル」の前にて、屋根なき所に石卓(いしづくえ)、椅子(いす)など並べたるが、けふは雨後なればしめじめと人げ少し。給仕する僕(しもべ)の黒き上衣(うわぎ)に、白の前掛したるが、何事をかつぶやきつつも、卓に倒しかけたる椅子を、引起して拭(ぬぐ)ひゐたり。ふと見れば片側の軒(のき)にそひて、つた蔓(かずら)からませたる架(たな)ありて、その下(もと)なる円卓(まるづくえ)を囲みたるひと群(むれ)の客あり。こはこの「ホテル」に宿りたる人々なるべし。男女打ちまじりたる中に、先の夜「ミネルワ」にて見し人ありしかば、巨勢は往きてものいはむとせしに、少女おしとどめて。「かしこなるは、君の近づきたまふべき群にあらず。われは年若き人と二人にて来たれど、愧(は)づべきはかなたにありて、こなたにあらず。彼はわれを知りたれば、見玉へ、久しく座にえ忍びあへで隠るべし。」とばかりありて、彼(かの)美術諸生は果して起(た)ちて「ホテル」に入りぬ。少女は僕を呼びちかづけて、座敷船はまだ出づべしやと問ふに、僕は飛行く雲を指さして、この覚束(おぼつか)なきそらあひなれば、最早(もはや)出(い)でざるべしといふ。さらば車にてレオニに行かばやとて言付けぬ。
京都風俗
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2005年12月29日

 下

 定(さだめ)なき空に雨歇(や)みて、学校の庭の木立(こだち)のゆるげるのみ曇りし窓の硝子(ガラス)をとほして見ゆ。少女(おとめ)が話聞く間、巨勢(こせ)が胸には、さまざまの感情戦ひたり。或ときはむかし別れし妹に逢(あ)ひたる兄の心となり、或ときは廃園に僵(たお)れ伏(ふ)したるヱヌスの像に、独(ひとり)悩める彫工の心となり、或るときはまた艶女(えんにょ)に心動され、われは堕(お)ちじと戒むる沙門(しゃもん)の心ともなりしが、聞きをはりし時は、胸騒ぎ肉顫(ふる)ひて、われにもあらで、少女が前に跪(ひざまず)かむとしつ。少女はつと立ちて「この部屋の暑さよ。はや学校の門もささるる頃なるべきに、雨も晴れたり。おん身とならば、おそろしきこともなし。共にスタルンベルヒへ往(ゆ)き玉はずや。」と側(そば)なる帽(ぼう)取りて戴(いただ)きつ。そのさま巨勢が共に行くべきを、つゆ疑はずと覚(おぼ)し。巨勢は唯(ただ)母に引かるる穉子(おさなご)の如く従ひゆきぬ。
 門前にて馬車雇(やと)ひて走らするに、ほどなく停車場に来ぬ。けふは日曜なれど、天気悪(あ)しければにや、近郷(きんごう)よりかへる人も多からで、ここはいと静(しずか)なり。新聞の号外売る婦人あり。買ひて見れば、国王ベルヒの城に遷(うつ)りて、容体(ようだい)穏なれば、侍医グッデンも護衛を弛(ゆる)めさせきとなり。※車(きしゃ)中には湖水の畔(ほとり)にあつさ避くる人の、物買ひに府に出でし帰るさなるが多し。王の噂(うわさ)いと喧(かまびす)し。「まだホオヘンシュワンガウの城にゐたまひし時には似ず、心鎮(しず)まりたるやうなり。ベルヒに遷さるる途中、ゼエスハウプトにて水求めて飲みたまひしが、近きわたりなりし漁師(りょうし)らを見て、やさしく頷(うなず)きなどしたまひぬ。」と訛(だ)みたることばにて語るは、かひもの籠(かご)手にさげたる老女(おうな)なりき。
大分風俗
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2005年12月28日

 「かくて漁師の娘とはなりぬれど

弱き身には舟の櫂(かじ)取ることもかなはず、レオニのあたりに、富める英吉利人(イギリスびと)の住めるに雇(やと)はれて、小間使(こまづかい)になりぬ。加特力教(カトリックきょう)信ずる養父母は、英吉利人に使はるるを嫌ひぬれど、わが物読むことなど覚えしは、彼(かの)家なりし雇女教師[#「雇女教師」の右に(やといじょきょうし)、左に(グェルナント)とルビ、55-10]の恵(めぐみ)なり。女教師は四十余の処女(しょじょ)なりしが、家の娘のたかぶりたるよりは、我を愛すること深く、三年(みとせ)がほどに多くもあらぬ教師の蔵書、悉(ことごと)く読みき。ひがよみはさこそ多かりけめ。またふみの種類もまちまちなりき。クニッゲが交際法あれば、フムボルトが長生術あり。ギョオテ、シルレルの詩抄半ばじゆしてキョオニヒが通俗の文学史を繙(ひもと)き、あるはルウヴル、ドレスデンの画堂の写真絵、繰りひろげて、テエヌが美術論の訳書をあさりぬ。」
 「去年(こぞ)英吉利人一族を率ゐて国に帰りし後は、然(しか)るべき家に奉公せばやとおもひしが、身元善(よ)からねば、ところの貴族などには使はれず。この学校の或る教師に、端(はし)なくも見出されて、雛形(モデル)勤めしが縁(えにし)になりて、遂に鑑札受くることとなりしが、われを名高きスタインバハが娘なりとは知る人なし。今は美術家の間に立ちまじりて、唯(ただ)面白くのみ日を暮せり。されどグスタアフ・フライタハはさすがそら言(ごと)いひしにあらず。美術家ほど世に行儀悪(あ)しきものなければ、独立(ひとりた)ちて交(まじわ)るには、しばしも油断すべからず。寄らず、障(さわ)らぬやうにせばやとおもひて、計(はか)らず見玉(みたま)ふ如き不思議の癖者(くせもの)になりぬ。をりをりは我身、みづからも狂人にはあらずやと疑ふばかりなり。これにはレオニにて読みしふみも、少(すこ)し祟(たたり)をなすかとおもへど、もし然(さ)らば世に博士と呼ばるる人は、そもそもいかなる狂人ならむ。われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくて※(かな)はぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言(げん)をも待(ま)たず。見玉へ、我学問の博(ひろ)きを。狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。狂人にならでもよき国王は、狂人になりぬと聞く、それも悲し。悲しきことのみ多ければ、昼は蝉(せみ)と共に泣き、夜は蛙(かわず)と共に泣けど、あはれといふ人もなし。おん身のみは情(つれ)なくあざみ笑ひ玉はじとおもへば、心のゆくままに語るを咎(とが)め玉ふな。ああ、かういふも狂気か。」

岡山風俗
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2005年12月26日

「母のなきがら片付けなどするとき

世話せしは、一階高くすまひたる裁縫師なり。あはれなる孤(みなしご)ひとり置くべきにあらずとて、迎取られしを喜びしこと、今おもひ出しても口惜(くや)しきほどなり。裁縫師には、娘二人ありて、いたく物ごのみして、みづから衒(てら)ふさまなるを見しが、迎取られてより伺(うかが)へば、夜に入りてしばしば客あり。酒など飲みて、はては笑ひ罵(ののし)り、また歌ひなどす。客は外国(とつくに)の人多く、おん国の学生なども見えしやうなりき。或る日主人(あるじ)われにも新しき衣(きぬ)着よといひしが、そのをりその男の我を見て笑ひし顔、何となく怖(おそ)ろしく、子供心にもうれしとはおもはざりき。午(ひる)すぎし頃、四十ばかりなる知らぬ人来て、スタルンベルヒの湖水へ往(ゆ)かむといふを、主人も倶(とも)に勧(すす)めき。父の世にありしきとき、伴はれてゆきし嬉しさ、なほ忘れざりしかば、しぶしぶ諾(うべな)ひつるを、「かくてこそ善(よ)き子なれ」とみな誉(ほ)めつ。連れなる男は、途(みち)にてやさしくのみ扱ひて、かしこにては『バワリア』といふ座敷船(ザロンダムフェル)に乗り、食堂にゆきて物食はせつ。酒もすすめぬれど、そは慣れぬものなれば、辞(いな)みて飲まざりき。ゼエスハウプトに船はてしとき、その人はまた小舟を借り、これに乗りて遊ばむといふ。暮れゆくそらに心細くなりしわれは、はやかへらむといへど、聴かずして漕出(こぎい)で、岸辺に添ひてゆくほどに、人げ遠き葦間(あしま)に来(きた)りしが、男は舟をそこに停(と)めつ。わが年はまだ十三にて、初(はじめ)は何事ともわきまへざりしが、後(のち)には男の顔色もかはりておそろしく、われにでもあらで、水に躍入(おどりい)りぬ。暫しありて我にかへりしときは、湖水の畔(ほとり)なる漁師(りょうし)の家にて、貧しげなる夫婦のものに、介抱せられてゐたりき。帰るべき家なしと言張りて、一日(ひとひ)二日(ふたひ)と過(すぐ)す中(うち)に、漁師夫婦の質朴なるに馴染(なじ)みて、不幸なる我身の上を打明けしに、あはれがりて娘として養ひぬ。ハンスルといふは、この漁師の名なり。」
埼玉風俗
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2005年12月25日

 「父は間もなく病みて死にき。

交(まじわり)広く、もの惜(おし)みせず、世事には極めて疎(うと)かりければ、家に遺財つゆばかりもなし。それよりダハハウエル街の北のはてに、裏屋の二階明きたりしを借りて住みしが、そこに遷りてより、母も病みぬ。かかる時にうつろふものは、人の心の花なり。数知らぬ苦しき事は、わが穉(おさな)き心に、早く世の人を憎ましめき。明(あく)る年の一月、謝肉祭の頃なりき、家財衣類なども売尽して、日々の烟(けぶり)も立てかぬるやうになりしかば、貧しき子供の群に入りてわれも菫花(すみれ)売ることを覚えつ。母のみまかる前、三日四日のほどを安く送りしは、おん身の賜(たまもの)なりき。」

新潟風俗
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2005年12月01日

芸術というものはいつも

自分からぬけ出てゆこうとするもの――自己の発展を求めるものとしてあるべきだと思います。悪循環の下に居直ったように、俺が悪いんじゃない、あの時はあれでしようがなかったのだ、というような人生態度は芸術的に人間的に低俗で、長いものにはまかれろ式なものであり、近代文学の本質的な意欲のないものと思います。
 一方にはまた、戦争中べつにいきり立ちもしなかったけれども、社会生活と個人の身の上におこる起伏を歴史的現実としてはっきり把握せず、ただ自然主義風に、世の移り変りとして見ている態度の作家と作品があります。宇野浩二の「浮沈」などを代表として。
 さらに昨今の特徴として目立つ傾向はデカダニズム、またはエロティシズムです。織田作之助、舟橋聖一、北原武夫、坂口安吾その他の人々の作品があります。
 個々の作家についてみればそれぞれ異った作風、デカダンスの解釈とエロティシズムへの態度があるけれども、総体としてみて、今日、新しい人間性の確立がいわれている中で、デカダンス、エロティシズムの文学が流行していることについては注目の必要があると思います。
名古屋風俗
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2005年10月27日

ようやく復活

16時間寝てました。

もうなんつうか疲れが溜まりに溜まっているようなんで一日中
横になっておりました。一定時間過ぎれば眠れなくなるもんだと
思ってましたがそんな事は全然なく一気に時間は経過。

でもこんな時間に起きてもする事ないですよ。また寝るか



超完全不燃焼
昨日は中途半端な対応でアレでしたがありがとうございました。

連休の初めをナメておりました。集客が半端じゃなくて100人は
いっていたんじゃないかと。メインフロアですらエアコンが効か
なくなるとは相当の数だったんじゃないでしょうか。やいやい。

でも今日は俺一人で遅番です。死人が出たらごめんなさい。
posted by モソー at 09:32| Comment(2) | TrackBack(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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